夏という言葉は様々な光景を思い浮かばせます。暑い日差し、海岸、セミの鳴き声、滴る汗、梅雨。体の隅々に染みわたる暑さのせいか、振り返る季節の中でも強く印象に残ります。

「レエスティウ(L’ESTIU)」は私が一番好きな季節である夏を、大好きなスペイン料理を通して表現してくれています。空間の中に広がるオレンジの香りやさわやかなインテリア、大きな自家製ハム、様々なチーズはまるでヨーロッパの田舎町にある食堂に訪れたかのような気分にさせます。

暑さも和らぎ、涼しい秋を感じるようなある日、過ぎ去ってしまった夏の日々を思い浮かべながら「レエスティウ」が描く地中海の夏についてお伺いしました。


「レエスティウ」について、簡単に紹介していただけますか。

「レエスティウ」はバレンシア語で「夏」という意味です。私が一番好きな季節でもあり、最も美しい地中海の姿を見ることができる時期でもあります。初夏になると青々とした野菜や甘い果物が並び始めて、個人的には地中海にいた頃、一番料理が楽しくなる季節でした。「レエスティウ」は温暖な地中海の夏を一つの料理として、また一つの文化として伝えるためにデザインされた空間です。

地中海の夏を一つの文化として紹介するなんて、すごく印象的だと思います。「レエスティウ」がどんな姿なのか、もう少し詳しくお聞かせください。

何よりも、生き生きとしています。初夏になると食材もすごく新鮮なんです。スペインにいた頃、一番料理が楽しかった季節でもありました。お店に訪れていただくお客様にも、明るくて生き生きとした元気のようなものをお伝えしたくて、色々なプロジェクトを進めています。スペインの文化をどういう形で韓国の方々に伝えればいいのか、という問いからプロジェクトが始まりました。


 「レエスティウ」にとどまらず、様々な場所や媒体を通じてスペインや地中海の文化を伝えていくということでしょうか?

そうですね。私はあくまで料理人なので、色々なジャンルの料理などを通して紹介していきたいなとは思っています。

 

様々な文化がある中で「地中海の文化」を紹介しようと決心されたのは、地中海の街で暮らした経験があるからでしょうか?

辺りにある、全ての海が地中海だったといえます。港町で暮らしていたわけではありませんが、ホセが生まれ育ったバレンシアの町も海から2、30分の距離でした。多彩な食文化が発達している場所は海に近いことが多いですし、地中海という言葉は海そのものだけではなく、地中海沿いの全ての国を呼ぶ言葉でもあります。イタリアやフランス、スペインなども地中海に面している国家ですし、ギリシャやクロアチアもそうです。「レエスティウ」では、特別スペインの食材にこだわっているわけではありません。フィロ生地なども食材として使用しています。トルコも好きなんですよ。本当にたくさんの国々を旅行してきましたけど、料理人として感銘を受けた国すべてが地中海と縁のある国でした。

 

「レエスティウ」という店名には数々のストーリーが込められている気がします。いつ、どのようにしてお店を始められたのでしょうか。

10年近い時間をヨーロッパの料理に注いできました。その中でも大好きな料理の一つである「スペイン料理(Cocina Española)」への想いというものは何年もの間、胸の中に抱いていました。ホセとのスペイン暮らしに終止符を打ったのが昨年の春で、今年の春に「レエスティウ」をオープンしました。本当のところを言うと、私は韓国に戻る気がありませんでした (笑)

 

様々なヨーロッパの料理の中、「スペイン料理」にのめり込んだきっかけはなんですか?

チリで長い間暮らしていたことがありました。スペインの植民地だったためか、スペインの影響を色濃く受けていて、ほとんどの地域でスペイン語を使用しています。学生だった頃から食べてきた料理や、スペインで生活しながら接してきた文化の根源を目の当たりにすることで理解が深まっていくにつれ、どんどんのめり込んでいきました。それと二十歳になってから一人であちこちを旅していたんですけど、トルコがとても良かったんです。その理由の一つは、スペイン料理の大部分がトルコの影響を受けているからです。アラビア商人が行き交うシルクロードの終着点もバレンシアなんですよね。イスタンブールからバレンシアに続くシルクロードを通して、シルクだけではなくサフランをはじめとする多彩なアジアの香辛料がスペインに流れ込み、ヨーロッパに伝わっていきました。そのせいか、バレンシアには東洋と西洋の文化が混在しています。

 

バレンシアがパエリアの本場になったのには、そんな経緯があったんですね。パエリアの材料にサフランを使うことが多いので、ふと気になりました。

そうですね。サフランもそうですけど、スペインで食されているお米の種類って実は東洋のお米なんですよ。ボンバ米(Arroz Bomba)といって、円形の粒のお米なんですけど、そのお米の発祥地は中国です。中国から韓国、日本へと渡り、日本からインド、アラブ、そしてヨーロッパに伝わっていったんです。ですのでスペインではバスマティ米などの長粒種のお米を食べずに、東洋のお米を食べています。今では品種開発が進んで、韓国で食べるお米より粒が大きいお米を食べていますが、お米の種類自体は同じなんです。そういった面から見ると、韓国の方がスペイン料理を好んで食べる理由の一つとして、このような東洋的な要素が加味されていることも関係しているのかもしれません。食文化や料理を学問的に分析したり学んでいくうちに、スペイン料理にどっぷりハマってしまいました。

 

スペイン、その中でもバレンシアは東洋と西洋の関門のような役割を担っていたといえますね。

そうですね。現在もバレンシアにはシルク市場があります。料理にもサフランを使ったりします。すごく東洋的な文化なんですけど、こういった文化がヨーロッパの中でも特にバレンシアで上手く定着していきました。

一カ月ほどトルコで生活していたとき、いろんなものを食べたりしていたんですけど、その時にスペインとの違いを感じました。アラビア商人は、トルコからスペインに向かう過程で地中海という大海原を越えていますよね。こういう側面から見て、地中海の料理の根本にもっと近いというか。トルコでは、香辛料をこんな風に使っているんだとか、この食材をこう使っているんだって驚きました。料理を単純な食べ物として捉える人がほとんどだとは思いますが、学問的な視点で捉えるとまた違った面白さがあると思います。

 

もう一段階深い部分まで探求される姿が素敵ですね。私の次のスペイン旅行も違ったものになりそうな予感がします。特に熱く語られていたバレンシア地方に行ってみたいですね。

スペインはバルセロナとマドリード以外にも素敵な所がたくさんあるんですよ。南部地方にも多いですし、美食の聖地である北部地方も最高です。スペイン料理のポイントとなる地域としては、北部地方のサン・セバスティアン、南の方へ下ったところにはバレンシアやアンダルシアがあります。

 

主に滞在されていた地域はどこですか?

もともとはマドリードに長期間滞在していました。ヒコンという北部の地域にも長くいましたし…あとはホセと共に過ごしたサン・セバスティアン。個人的にはパンプローナも好きですし、うーん…全部好きですね(笑) 旅行に行くとその地域に居座るように過ごすんです。1ヶ月ぐらいはその町の食材や料理、調理テクニックを勉強したりしながら時間を送ります。

 

ホセさんとの出会いも気になります。お聞かせいただけますか?

あ…私がスペインで料理とは関係ない仕事をしている時に、通訳や翻訳の仕事をしていたんです。

 

もともと料理をされていたわけではないんですね?

そういうわけではなく料理の傍ら、通訳や翻訳などの他の仕事が入るとやっていたという感じです。ですが料理を専攻してたわけではなく、大学では全然違うことを学びました。料理経験は、レストランを経営していたことがあったのでその時に身につけました。今みたいに本格的ではなく、趣味のような感じでした。ともかくホセとは通訳や翻訳の仕事でスペインに長期滞在していた頃に、マドリードのバーで偶然出会いました。

 

バーでの偶然な出会いがきっかけとなって、「レエスティウ」にまで繋がったんですね。

そうですね。今では私の彼氏でもあります。もともと「レエスティウ」をソチョン(西村)にオープンしようとは考えていなくて。頃合いを見てスペインに戻り、現地でレストランを開くつもりでした。

 

スペインに戻らなかった理由には、新型コロナの影響もあるのでしょうか?

それは違います。「レエスティウ」をオープンしたのはコロナ禍の前です。私はもともとスペインでレストランを開くつもりでした。「レエスティウ」とは異なったコンセプトのレストランにしようかと思っていましたが、ホセの東洋生活に対するロマンが思いのほか強かったんです。周りの方々にも韓国でお店を運営することを勧められたのと、ソチョンという町が好きだったこともあってここに来ることになりました。

 

ソチョンのどんなところに魅了されたのでしょうか?

すぐ隣にあるソンブットン(城北洞)に実家があったので、ソチョンにも親戚や知り合いの方がたくさん住んでいました。自然とソチョンという「町」に親しみを持っていましたね。ホセと出会った頃は韓国料理にハマっていました。料理の勉強を続ける傍ら、ソチョンの韓国らしさに魅了されました。料理の先生には「本職に励みなさい」っていつも言われていました(笑) 「レエスティウ」で提供している料理は韓国料理ではありませんが、韓国料理の原点ともいえる「真心」を西洋料理であるスペイン料理に生かしています。西洋料理のシェフですが陶磁器が大好きで、白磁を始めとする韓国の陶磁器や漆塗りの道具などをよく使っています。矛盾していると思われるかもしれませんが、ソチョンはそういう町なんだと思います。

ホセと私の関係のようにどこか矛盾しているような閑静な町で、全然違う人間同士が一緒になれる、二人だけの居場所を見つけたかったのかもしれません。私とホセは、実は正反対の人間なんです。

 

長い外国生活を終えて戻って来た場所が実家のすぐ近くだなんて、不思議ですね。ホセさんはソチョン暮らしや韓国での生活についてどのように思われているのでしょうか?スペインとはまったく違いますよね。

ホセはとにかくハノク(韓屋)が大好きです。本当に好きなんですけど、運よく素敵なハノクを見られる機会にもたくさん恵まれました。

 

ということはハノクにお住まいなんでしょうか?

いいえ、普通の家に住んでいます(笑) ですが陶磁器が好きなので、そちらの分野の方々とも交流があります。陶芸家の方ってハノクに住まわれていることが多くて、ホセも自然とハノクに接する機会に恵まれました。今のところホセもソチョンに満足しているみたいです。たぶんですけど、ソチョンの生活パターンがスペインと似ているってことも影響しているんだと思います。でも、ホセはソチョンにはあまりない高い建物も好きで、賑やかな雰囲気も好きだと言っていましたね。なぜかというと、高い建物がスペインには無いんですよね…

そういう面から見ても、ソチョンという町はホセさんにピッタリの場所なんじゃないかと思えてきます。スペインと似たような生活リズムを持っていながらも、少し離れると高層ビルが立ち並ぶクァンファムン(光化門)や市内が出てくるじゃないですか。

ソチョンは実家があるソンブットン(城北洞)と似ているので、私にとっても住みやすい町です。でも、ホセがストレスを感じている部分もあります。韓国人って気が早いじゃないですか。たまになんですけど、びっくりすることがあります。海外生活がいくら長いといっても、私も韓国人なんでかっとなることもありますし、神経質になったり急ぐこともあります。そういう姿を見ると驚くんですよね。スペインにはそんな人いませんから。スペインのレストランでお水を頼んだら、みんなお水が出てくるまでひたすら待っているんです。でも、韓国ではじっと待てない方達が多い気がします。そういうところにも驚いていました。でも、今となってはそういう部分も慣れたみたいです。

 

あはは、たしかにそうですよね。スペイン人に比べて、韓国人は全てにおいて生き急いでいる感じがします。他にもそういった生活の部分における、スペインとソチョンの違いはありますか?

スペインは日が長いです。夏になると夜の10時まで明るい日も多いです。それに比べると韓国は日が短いですよね。だからなのかご飯を食べる時間や食事の内容も違ってきます。スペインでの朝はコーヒーとクロワッサンなどの小さなパンを食べ、11時頃に朝ごはんとしてサンドイッチを食べます。15時頃にお昼を食べてからシエスタをします。18時になるとハイティーの時間を持ち、22時頃に夕食を食べます。日が長いのもあって、日常にも余裕があるというか。韓国での生活パターンはとにかく早く、複雑なオーバーラップの連続なので戸惑うことが頻繁にあります。思考のパターンも追いつかなくなることが多くて、韓国に来てからはホセとよく喧嘩をするようになりました。もしここがソチョンじゃなかったら、もっとひどかったと思います。そういった部分でもソチョンに来て正解だった気がします。

 

遠く離れているほどに、文化的な違いも多いのかと思います。「レエスティウ」に関する質問に戻りたいと思います。チャルクテリア(ソーセージなどの肉製品)のメニューが別途に構成されており、個別の販売もされているとお聞きしました。ハムとチーズに対する深い愛情を感じますね。

チャルクテリア(‘Charcutería)は西洋ではとてもポピュラーなお店で、どこに行ってもあります。私にとっても生活の一部となっていました。15年前だったと思います。韓国に初めて来たときだったんですけど、チャルクテリアが無いことを知って、絶望したこともありました。それからは母が送ってくれるか、韓国に来る際に持って来てくれればありつける貴重な食べ物になってしまいました。チャルクテリアに行くと、いつも笑顔の店員さんが色々と食べさせてくれます。試食した製品の中から美味しかったものをチョイスするシステムです。子供の頃は母と一緒に馴染みのお店にチャルクテリアを買いに行くのが楽しみでした。チャルクテリアに漂っている独特な匂いも好きでしたし、老舗のチャルクテリアでホセと喧嘩しながら何を買うか選んでいた思い出もあります。ホセが厳選する熟成チャルクテリアはスペイン現地でも「職人」と呼ばれている方々が作っているもので、私たちには絶対に作れません。でも、シンプルなチョリソーやソーセージ類、それに新鮮なチーズ類などはたまにですが自家製のものを調理で使ったり、販売したりもしています。よく来られる地元の住民の方々には、私たちの思い出を経験していただきたくて試食品を出していますね。最近では親に連れられて来る子供たちも多くて、昔を思い出します。


現在のメニュー表がVol.II となっていますが、Vol.Iとの違いはあるのでしょうか?メニューを見直す目安などがあればお聞かせください。

持続力がゼロなんですよ(笑) 同じ料理を長期間作り続けるなんて到底無理な人間です。これが原因でホセとも何度も喧嘩しました。上手くいっているメニューなのにどうして変えるんだって(笑) 母がいつも言うんです。ホセの方が韓国人みたいだって。朝鮮時代のご先祖様のような生真面目さを持ち合わせているヨーロッパ人です。その反面、私は探求心が強いタイプの人間なので、少しでも気になることは自分の手で直接やってみたり、触ってみたり、勉強したりしないと気が済まないんです。メニューを考え直す頻度は3~4カ月だと思っていただければいいかと思います。季節の入れ替わりとともに旬の食材も変化します。朝鮮半島の四季は私が暮らしてきたどの国よりもはっきりとしているので、季節が変わるごとに「レエスティウ」のメニューも変えています。

お店を始める前からやってきた西洋料理と、新しく興味を持った韓国料理に対しての大きな悩みがありました。いくら高級なシカンジャン(種醤油:継ぎ足しの醤油)や食材を使っても、自分の韓国料理からは韓国らしさを感じられなかったんです。今もスペインで暮らしている末っ子にも相談したことがあったんですが「それがお姉ちゃんなんだよ」って言われて、雷に打たれたような気持ちになりました。それからは自分自身を受け入れるようになり、「レエスティウ」の原点であるVol.Iが誕生しました。自分の「アイデンティティ」を、料理という媒体を通してお客様に表現することが出来たんです。私が生まれた年に母が作ったシカンジャン(種醤油:継ぎ足しの醤油)に寝かせたステーキは、基本的な西洋料理のテクニックを駆使して焼き上げたハヌ(韓牛)のサーロインステーキです。ガーニッシュには春野菜のナムルを添えました。「レエスティウ」の看板メニューである「プルボ・ア・ラ・ソチョネーサ」はガリシア料理のテクニックを駆使して調理した東海(日本海)のタコに、母のコチュジャンとテンジャン(味噌)、そしてシトラス系の砂糖漬けを混ぜた自家製のラー油を添えて出しました。韓国人なのに韓国人じゃない、かといって西洋人でもない、料理人としての自分ではなく、人間としての素の自分を料理に盛り込みました。

じわじわと夏が近づく中で材料を変えたいと思いデザインしたVol.IIは、懐かしさに関するストーリーテリングをもとに構成してみました。個人的には一番美しく仕上げたいプレートである、ホセの祖母に作っていただいた鮭のマリネをテーマにした「YaYaの鮭」を調理しながら何度も涙を流しましたし、「パルマの鴨」や「イビサのブラッタ」を調理しながらバルセロナの夏を思い返しました。それにVol.IIの「ソチョン式焼きだこ」は、スペイン北部地方の料理の中で一番好きな「プルポ・ア・ラ・ガジェガ」の味を再現したものです。コロナ禍のご時世で会えない家族や、いつ帰れるのかも分からない故郷に対する「懐かしさ」がテーマでした。

一つのVol.(ボリューム)を終えるとどこか名残惜しいというか、今後も研究を重ねてより一層素敵なプレートを準備し食べて頂きたいです。それと、以前の料理と食べ比べられるようにすることで、変わった面白さを提供したいとも思っています。そのためにレシピブックを作って更新していくというプロジェクトも進めているんです。

 

Vol.III も楽しみですね!メニュー開発のアイデアはどこから得ているのでしょうか?

先ほども少し話したことなんですけど、たくさんの要素がインスピレーションに繋がっています。家族、旅行、故郷、友達などとの手の届かない記憶や思い出を一皿のプレートに表現できるようにと常に努力しています。

料理自体もインスピレーションに繋がる大きな要素となります。伝統的な郷土料理を改めて理解することや、伝統的な味のベースを、新しいテクニックで再現することも楽しみの一つです。「ホタス・コン・ギサンテ」がいい例で、スペインの北部の田舎町にある定食屋さんで、いつもハモンとグリンピースの前菜を出しているところがあるんですけど、「レエスティウ」では陶芸家のイ・セヨンさんの陶磁器に最高級のハモンである5J(シンコホタス)ハモンのだし汁で煮込んだ旬の野菜とグリーンピース、ポーチド・エッグを添えた全く新しい形のタパスを作り上げました。誰もが知る「ガンバス・アル・アヒージョ」もVo.1でスゥヴィド(低温調理)を通して再構築しています。バレンシアの鰻料理である「アジ・ぺブレ」も、鰻とじゃがいもは誰もが好きな焼き物に。そしてシチューは長時間煮込んだ鰻のだし汁を使ったエスプーマにして提供しています。

料理の先生がいつも「料理は配慮だ」って口癖のように仰っていて…実際に自分で作って食べてみて、不便な点や悪い点を改善することも新たなインスピレーションに繋がっている気がします。

 

そうなんですね。数え切れないほどのレシピを研究されてきたかと思いますが、その中でも一番好きなメニューはなんですか?

ホセは「赤ひげ船長の宝袋」というメニューがとても気に入っているんですよ。薄い生地の中にふんだんに海産物が入っている袋の名前を「Bolso de Verano (夏袋)」にしたいと私が提案してみたんですけど、ホセが「海賊たちはカリブ海や地中海で活動していたんだ。だから、赤ひげ船長の宝袋の方がいい名前だと思うんだ」と言ってきて、みんなそれを信じて納得したんですけど、嘘だったみたいで(笑) でも、袋の中にたっぷり入ったロブスターとエビ、そして焼き魚は地中海の香りを漂わせていて、バレンシアやイビザでよく食べられるウニを使ったヴェルーテはホセにとっての最も地中海らしい夏のプレートだそうです。

 個人的にはロッシーニが好きなんですけど、トルネード・ロッシーニをオマージュした「ハヌ(韓牛)・ロッシーニ」はフォアグラ、トリュフ、ステーキ、そしてシェリーという材料で作られた、女性らしいプレートです。細やかで繊細なプレーティングを通して、女性シェフとしての自負を感じたりすることがあるんです。フォアグラとステーキの組み合わせは、「レエスティウ」のスーシェフがスペインに留学していた頃に一番おいしかったという料理に対しての懐かしさからアイデアをもらいました。今回の質問は「レエスティウ」一同がもっとも愛する「パエリア」はあえて除いて、他のメニューの中から選んでみました。


説明を聞いているうちに無性に食べたくなりました!「レエスティウ」をオープンされてから半年ほど経ちましたが、レストランを運営される上で一番大変だったことはなんでしょうか?

オープンした翌月に新天地(韓国の新興宗教団体)事態が起きてしまい、グランドオープンするや否や一カ月も休業せざるを得なかったんですよ。休業の末になんとか再オープンして5ヶ月が過ぎました。うーん、大変だったことは…とくには?スタッフの方々も真面目な方ばかりですし、お客さんも親切な方ばかりなのでとくに大変だったことはなかったかもしれないですね。あるにはあるんですよ。あえて言うなら香辛料の仕入れが難しいことですね。「レエスティウ」で使用している香辛料は全てホセのお母さんとお父さんがスペインから送ってくれています。ここでは手に入らないものが多くて、そういう材料の仕入れに困ることはあります。あと「レエスティウ」のパエリアが特別なのには理由があるんです。先ほども言ったように、ホセは朝鮮時代のご先祖様みたいな人ですごく生真面目なところがあります。パエリアを調理するのは私なんですけど、作る際にこれだけは絶対に守って欲しいと言われていることがあります。オリーブオイルはエクストラバージンのバレンシア産を使用すること、香辛料は可能な限りスペイン産のものを使うこと、みたいな。あと、ソチョンには守銭奴みたいな人が多いなんて噂を聞いてて不安だったんですが、いざ来てみると親切で優しい方ばかりだったのでとくに大変なことはありませんでした。

順調にやってこられてなによりです。人々の目にこう映っててほしいといった「レエスティウ」の姿はありますか?

いつも気を遣っているのは、常にオレンジの香りを漂わせることです。私が好きな果物っていうこともありますが、オレンジはバレンシアの象徴でもあるんですよ。バレンシアには、道端にもオレンジの木があります。初夏に青々しく実っているオレンジを見ていると落ち着きますし、その香りからもまた癒されるというか。そんな理由もあってお店にもオレンジの香りを漂わせたいと思いました。バレンシアオレンジの香りというディフューザーも使っています。香りというのは記憶や思い出とも密接に関わっていますので、私がオレンジの香りから感じるものがあるように、お客さんにとっても癒しの空間であってほしいと願っています。

  

最後になりますが、今後の目標などあればお聞かせください。

まだオープンして間もないんですが、一応目標があります。ソチョンで長く続けられるレストランになることです。これから先もずっとこの町で「レエスティウ」というお店を続けていきたいですね。

近頃の韓国は変化が早すぎる時代の真っただ中にあるようです。トレンドの影響がなさそうなソチョンでさえも、小さいお店ができては消えていきます。流行り物にも過度に敏感というか。スペインには創業100年を超える老舗のバーやレストランが数多くあります。毎日同じお店でワインを飲み干す常連客もいますし、毎週末同じお店に家族連れで訪れてご飯を食べたりもします。チーズやパエリアの秘伝のレシピを子孫代々受け継がせることも多いです。「レエスティウ」は子孫代々とまではいかないかもしれませんが、ソチョンという町で末永く愛され、思い出の一つとなれるような空間を目指しています。そこにあって当たり前の場所、そんな存在になりたいです。




INTERVIEW DATE / 2020. 10. 08

INTERVIEWEE / @lestiuseochon

INTERVIEWER / Won, Wan, Min

文|西村遊戯         写真|西村遊戯

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